禁欲的馬券術 - 神賞必罰 -

競馬は虐待という観点からの競馬予想

神がいるなら

 

 


2020年上半期競馬の締め括り、宝塚記念(G1)は北村友一騎手騎乗のクロノジェネシスがライバルたちを後方に置き去りにする圧勝で2つ目のG1タイトルを獲得した。
1着:クロノジェネシス
2着:キセキ       6馬身
3着:モズベッロ     5馬身
4着:サートゥルナーリア 1 3/4馬身
5着:メイショウテンゲン クビ

 異常な着差
13年ぶりのフルゲート、超豪華メンバーだと盛り上がっていた割には、G1馬らしい走りを見せた馬は少数。19年有馬記念と同様真に受ける必要性が一切ない天変地異的着差を見ても、レースが壊されていたと思います。

道悪馬場での奇異な圧勝と言えば思い出される03年ジャパンC

 ▽異常隠し!? 小細工とも思える2頭抜け出し(3頭抜け出しも存在)

予測ながらニセ神(野菜という努力を棄てさせる)に信奉が集まっている破廉恥な世界が展開する限り、このような酷いぶち壊しは続くのかもしれない。


     神がいるのならそれは何者か?

神が居るとしてもキリスト教の神は存在しないー
その観点から挙げられるのは2つの蓋然性ある真実の神である。
1) FSM  2) アッラー

サトゥルヌス祭(サートゥルナーリア)
西洋人の古代の信仰は現代からすると意外な事に、“真理”に真面目に打ち込むような物では全くなかった。

収穫祭を兼ねる欧州の冬至祭(12/17-24:サトゥルヌス祭(クリスマスの前身))では人々は獣皮などをまとって神々にちなむ仮装・女装をし、無秩序な叫び声、放縦なダンスと共にバカ騒ぎ、賭け事、狼藉に興じていたという。酒神 ディオニュソス(バッコス)に憑かれた女信徒は平時から粗野な掛け声と共に山野を駆け回り、動物の生肉を裂いて喰らう猟犬の群れと化していた。母神キュベレの熱狂的な信奉者は、自らを去勢した男性達であった。

いま西洋人の血をくすぐる米国発の新しい信仰・空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(FSMism)が信徒を増やしている。(預言者ボビー・ヘンダーソンが2005年に創立) 麺類を一年中食べている日本人とも親和性の高い宗教だ。
祈りの言葉は「ラーメン!」空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の信者が教会を設立
「アメリカ」運転免許証写真にスパゲティ用ざるをかぶる者が増えている!?



イスラム教対キリスト教

これだけが本物だと言わせる真空の一神教が全てを統合すると、欧州人の間から笑いが消え"全てが間違いだ"と言える心の余裕は失せてしまった。

コロンブスらが見せた全世界の侵略に適した残忍な宗教にヨーロッパが包装し直される前、アラビアの部族を一つの信仰に団結させる怒れるキリスト教の兄弟が立ち現れ、東西に広く版図をとり白人種を長く欧州に押し込め続けたのは歴史の偶然として片付けられるのだろうか。

国際商業都市でそこそこ成功していたムハンマドは、突如茨の道へ引きずり出され、安楽・財産・友人関係の犠牲の上に神の道具としての役割を強いられた。そして最後の預言者として使命を全うした。イスラム教ではそう考えている。

「われらはただ全世界への慈悲として、汝を遣わしただけである。」(コーラン21:107
 
 

 
 
 
アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は、本当に不信心者である。唯―の神の外に神はないのである。もし彼らがその言葉を止めないなら、彼ら不信心者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう」(コーラン5:73
「また彼らは言う。「慈悲深き御方は子を設けられる」 確かにあなたがたは、酷いことを言うものである。天は裂けようとし、地は割れて切々になり、山々は崩れ落ちよう。それは彼らが、慈悲深き御方に対し、(ありもしない)子の名を(執り成すものとして)唱えたためである。子を設けられることは、慈悲深き御方にはありえない」(コーラン19:88-92
啓典の民キリスト教徒)よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤムの子マスィーフ・イーサー(※イエス)は、ただアッラー使徒であるマルヤムに授けられた彼の御言葉であり、彼からの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。彼に讃えあれ。彼に、何で子があろう」(コーラン4:171